上手な録音起こし方の基本

2012.10.31

「これはペンですか」「いいえ、違います」2

さて、中学時代、英文和訳に「これはペンですか」「いいえ、違います。鉛筆です」という不自然な日本語が出てきて困惑した私ですが。高校時代に読んだ井上ひさし『私家版 日本語文法』に、ちょっとヒントになることが書いてありました。

 

ガラスの割れていることを発見したのがカナダ人修道士であれば、彼はきまってこう詰問した。

だれがガラスを割りましたか

この言い方はどうもすわりが悪い。いわゆる〈外国人式日本語〉だ。一方、日本人修道士の詰問文はこうだった。

だれがガラスを割ったのですか

ガラスが割れているとは、すでに旧情報に属する。その旧情報を基に新情報を得ようとするには「……のですか」という「のだ文」を使わねばならない。

(井上ひさし『私家版 日本語文法』269ページ)

 

「これ、ペンなんですか」には、旧情報に当たるものがありません。いや、あるのかな。「ペンに見える(旧情報?)けれども、もしかしたら違うのかもしれないと私は思った(いやむしろ、ここまでが旧情報?)、だから質問して新情報を得よう」ということかもしれません。

 

okosoメルマガに寄せられた情報ではもう一つ、小柳昇さんという方の「日本語チャンネル」というWebサイトを教えていただきました。

このサイトの「#28「~のです」の統一的解釈を試みる」というページ、非常に専門的な内容ですが、ポイントは最後の「余談」というコーナーにあると感じました。

 

非常に日本語がよく話せる外国人の日本語を聞いて、非常に落ち着かない思いをしたことがある。その人は会話に「~んです」が出てこないのである。日本人にとって、会話で「~のです」が出てこないと不安になる。つまり、日本人にとって、談話の展開中には「~のです(ね/よ/か)」によって常に情報の均一化を目指して、補充や確認しながら共同作業することが不可欠である。

(日本語チャンネル #28「~のです」の統一的解釈を試みる)

http://nihon5ch.net/contents/ch5/kosatsu/28.html

 

ここでも、井上ひさしと同様、外国人が使う日本語との対比です。つまり、外国人はかなり日本語に堪能な人でも「~んです」が重要だと感じない。その人たちの母国語にはそういう機能がないのでしょう。

そういう機能とは「情報の均一化」「補充や確認」「共同作業」です。

ただ、私が思うのは…。この「共同作業」は、「お互いの立ち位置を測り、同じ位置に立って大丈夫とお互いに感じる」というようなことも含むのではないでしょうか。私たちは誰とでも共同作業をするわけではなくて、日本人同士の会話でも「~んです」を使えないケースがあるからです。

 

これ、ペンなんですか」「いえ、こちらは鉛筆になっております

お客と店員の会話かなという感じですね。

 

このとき店員が「いいえ、鉛筆なんですよ」と答えたら、親しみを込めた接客と肯定的に捉えるか、なれなれしいんじゃない?と少し不快に感じるかは、人それぞれでしょう。

お客と同じ位置に立っていいなら「鉛筆なんですよ」と答えられますが、店員はお客より一段低い位置に立たなければいけないという考え方なら「鉛筆でございます」とか「鉛筆になっております」という答え方になります。

 

鉛筆になっております」は、まるで自動的に鉛筆が形成されたかのような、本当は変な言い方ですが、へりくだるためにはよく使われます。

「鉛筆です」だと、自分が偉そうに知識をひけらかして断言しているように思われるのでは…という危惧で、別に私は何もしてないけどこれは自動的に鉛筆だったんだと言い訳するイメージです。

 

自分は客だという意識で質問する場合は、「これ、ペンですか」になるでしょう。「これ、ペンなんですか」と質問するときは、ちょっと親しみを込めているというか、同じ位置に立ってOKという合図を店員に出しているとも考えられます。

 

相手と立ち位置を共有するかどうかとか、自分が偉そうに思われてはいけないという、日本語の話し言葉におけるしつこいまでの配慮は、テープ起こしを仕事にしているととてもリアルに感じられます。

 

次回も、このしつこいまでの配慮を別の例で見てみます。

「これはペンですか」「いいえ、違います」3